候補者を選ぶ仕組み

国政の手だて

日本の憲法は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」という文から始まります。国会を構成する衆議院と参議院は、いずれも選挙された国会議員によって組織され、国会議員は、国会における国民の代表者、私たちの代わりです。


しかし、実際の国会では特別な人が多くの議席を占めています。憲法に書かれているように、国民が国会における代表者を通じて行動するためには、特別な人ではなく、私たち自身の代表者によって国会が組織されなければなりません。


国民は政治に参加しているか?

これまで有権者は「マニフェストを読んで、政策で候補者を選べ」と言われてきました。でも、ほとんどの有権者は公約をじっくり読まずに投票をしていると思います。公約を読んでも、そこに掲げられている政策が正しいかを判断することは難しいことでしょうし、公約を信じて投票をしても守られるとは限りません。それで国民が政治に参加していると言えるのでしょうか?


本当は、真に国民の代表者によって国会が組織されていれば、それぞれの有権者が条文を読んだり、政策を精査したりしなくても、国民は政治に参加していることになります。憲法の最初には、この考え方、手だてが記されています。


代表者を選べているか?

今の憲法では国民が主権者です。主権者である国民には、国会における代表者を通じて、討論や評決に参加する権利があります。国民一人一人の参政権が平等であるなら、討論や評決に参加する権利も、代表者を通じて平等に認められていなければなりません。


ところが、例えば国会議員の男女比には著しい偏りがあります。結果に著しい偏りがあることは、国会が代表者によって組織されていない可能性が高いことを表しています。人種や信条、教育や財産についても同様に、国民が討論や票決に参加する権利、参政権に格差があります。


国民が選ぶ仕組み

国の政治が憲法に記された手だてに沿って行われるようにするためには、特別ではない人が国会議員としての能力を備え、候補者になり、国民に選挙され、国会で自由な意思によって討論や票決に参加できるようにしなければなりません。そのためには、特別ではない人を国会議員の候補者として育む仕組み、いわば甲子園や研究生のような仕組みが存在しなければなりません。


公論府は供託金を代替することに加え、国民から公選された議員としての実績を与え、国会議員の候補者になる人を国民が選ぶ仕組みとして機能するでしょう。また、有権者は公論議員としての活動を参考に投票をすることができるので、形式的に立候補する権利を守るだけではなく、実質的に国民の選ぶ権利を保障し、国民の参政権を擁護することになります。


誰かに任せてはいけない

これまで候補者を選ぶ仕組みは、政党に期待されてきました。しかし、政党による公認や推薦が有権者の選択に大きな影響を与えてしまうと、実質的には公認を決定する人やプロセスが議員を選んでしまうことになります。


憲法は第五十一条で「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。」と規定し、国会議員の自由な意思による討論や表決(法案等に賛否を投じること)を保障しようとしています。ところが多くの政党は、所属する議員が自由に表決することを認めてはいません。


政党は、候補者の選定に大きな力を持ち、議員の表決を拘束しています。議員同士が議院の内で協力する院内会派とは違って、企業・団体や個人から献金や党費、選挙応援などの利益を受け、又は党員資格を行使されます。そのため、国政の手だてや原理が歪められ、国会での熟議や代表性の反映が損なわれてしまうおそれがあります。


憲法に沿った政治へ

私たち自身による政治が行われるようにするためには、政党に頼るばかりではなく、特別ではない人が有権者によって選ばれる仕組みが理想です。国民によって涵養、選抜された国会議員は、将来、政党に依存しない全国民の代表者として、憲法に書かれた手だてに従って国政を担えるようになります。